2000(平成12)年6月〜噴火

2000年8月18日噴火の写真
2000(平成12)年8月18日噴火

6月26日18時30分頃から三宅島南西部を震源とする小さな火山性地震が観測され始め、次第に活発となりました。当初は南部〜西部での噴火の可能性が高いとみられましたが、火山性地震の震源は26日21時半頃から島の西部に移動し、翌27日にはさらに西方の沖合へ移動、ヘリコプターによる観測で西方沖1km付近で海底噴火によるとみられる変色水が確認されました。一連の現象は、当初三宅島の南西部に貫入したマグマが西方海域へ移動したことによると推定されました。

その後、地震の震源はさらに西方沖へ移動し、新島、神津島近海で近年まれに見る規模の活発な群発地震活動(最大マグニチュード6.5、震度6弱)となりました。海底噴火後は三宅島の地震活動は低調になり、傾斜計やGPS等のマグマの動きを示す地殻変動のデータに変化傾向の鈍化が見られるようになりました。29日には火山噴火予知連絡会伊豆部会は「噴火の可能性はほとんどなくなった」とコメントし、これを受け三宅島は26日から発令していた避難勧告を全面解除し、気象庁や三宅村等の災害対策本部も廃止されました。

ところが、7月4日頃から再び三宅島の雄山山頂直下を震源とする地震が観測され始め、次第に活発化していきました。7月8日18時41分頃、山頂で小規模な噴火が発生しました。これにより雄山山頂付近に直径700〜800mの円形の陥没地形が形成されたことを翌日のヘリ観測で確認しました。この陥没は次第に拡大し、8月中旬までに直径1.5km、深さ450mのカルデラが形成されました。このカルデラの大きさ及び位置は2500年前に形成された八丁平カルデラとほぼ同じです。

8月10日には噴煙の高さが8000mに達する規模の大きな噴火が発生しました。その後は断続的に噴火が観測されるようになり、18日の噴火では噴煙の高さが14000mにも達しました。この噴火の際には西側山麓で厚さ10cmの降灰があり、中腹では50cmの噴石、山麓でも5cm程度の火山礫が落下しました。

8月29日の噴火の際には低温で低速の火砕流が発生し、山頂から北東側に5km、南西側に3km流れ、北東側は海にまで達しました。また、雨による泥流も頻発しました。8月31日、火山噴火予知連絡会は「今後、高温の火砕流の可能性もある」とする見解を発表。これを受け、9月1日全島避難が決定、4000人余の島民は島外での避難生活を余儀なくされることになりました。

噴火は9月まで続き、その後は山頂火口からの大量の火山ガス放出活動に移行。二酸化硫黄の放出量は観測を開始した8月下旬は1日あたり2000トン前後でしたが、9月から10月には2〜5万トン/日もの二酸化硫黄放出量が観測されました。その後火山活動は低下し、火山ガス放出量は減少。この間小規模な噴火が時々発生し、山ろくで降灰。2005(平成17)年2月1日、ようやく避難指示が解除されました。


写真:2000年7月9日に発見された山頂部の陥没

左上:2000年7月9日に発見された山頂部の陥没
左中:2000年7月9日の村営牧場(七島展望台より撮影)
右中:2008年12月18日の村営牧場(七島展望台より撮影)
左下:火山泥流による被害(2000/7/28撮影)
右下:噴火に伴う地震によるがけ崩れ(2000/7/31撮影)

写真:村営牧場(2000年7月9日 七島展望台より撮影) 写真:村営牧場(2008年12月18日 七島展望台より撮影)
写真:火山泥流による被害(2000年7月28日撮影) 写真:噴火に伴う地震によるがけ崩れ(2000年7月31日 撮影)

過去のヘリ観測写真

上空から撮影した写真(2001/4/23 海上保安庁協力)

2001/4/23撮影 海上保安庁協力

上空から撮影した写真(2004/1/20 東京消防庁協力)

2004/1/20撮影 東京消防庁協力

上空から撮影した写真(2007/1/10 東京消防庁協力)

2007/1/10撮影 東京消防庁協力

上空から撮影した写真(2010/1/29 陸上自衛隊協力)

2010/1/29撮影 陸上自衛隊協力

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