1962(昭和37)年8月24日噴火

1962(昭和37)年8月24日噴火の溶岩流・噴石・砂礫分布
溶岩流・噴石・砂礫分布(1971年気象庁技術報告第75号)

5月5日、三宅島の西北西約15kmでマグニチュード5.8の地震が発生、三宅島で震度4を記録したこの地震以後、新島、神津島、御蔵島と三宅島を囲む海域で、群発地震活動が7月23日頃まで約2か月半続きました。

8月24日22時20分、雄山山頂と赤場暁を結ぶ山腹で噴火が起こり(1940年の噴火場所に近い)、割れ目状に出来た多数の火口から溶岩を海中にまで流出しました。噴火活動は30時間で終了しました。噴火活動の最盛期には、赤熱溶岩を火口から約200mの高さに噴き上げ、3つの大きな溶岩流となって山腹を下り、そのうち2つは海岸線を越えて沖合いまで流れました。また、新噴石丘の中にはもとの地表面より数十mの高さにまで成長したものもありました(三七山)。噴煙は5000m以上の高さに達し、南東の風に流されて、島の北東部一帯と新島(三宅島の45km北西)に火山砂または火山灰を降らせました。

この噴火による溶岩、噴出物の総量は1.0±0.3×107m3(約2000万トン)、これは1940年の噴火によるもののほぼ半分でした。噴石丘「三七山(さんしちやま)」が生成しました。被害は焼失家屋5棟のほか道路、山林、耕地などでした。

1962年の活動の最大の特徴は、激しい地震活動を伴った点です。噴火中から有感地震が頻発し、8月30日には伊豆集落で2000回以上に達しました。島民は極度の不安に落ち入りましたが、地震も年末にかけて次第に収まりました。地震の震源域は噴火地域でなく、島の北西域でした。噴火活動終了後の8月26日15時48分にマグニチュード5.9の地震が発生しました(群発地震中の最大地震)。9月1日から14日まで、小中学校の学童および関係者など千数百人が、主として千葉県の館山方面へ集団疎開しました。

噴火後の1963年4月11日の現地調査で雄山山頂火口の北西側にあたる1940(昭和15)年噴火溶岩流の端末で、長さ30m、幅1mにわたってかなり強い噴気が新しく出ているのを発見(雄山サウナ 第1噴気地帯)、9月20日の現地調査では、山頂噴石丘(昭和15年生成)の北西側斜面で40m×40mにわたって新しく噴気地帯が現れているのを発見しました(第2噴気地帯)。これらの噴気活動は2000年カルデラ生成まで続きました。


三七山付近の火柱

左上:三七山付近の火柱
左下:三七山付近の噴火
右下:椎取神社の溶岩流

三七山付近の噴火 椎取神社の溶岩流

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