1983(昭和58)年10月3日噴火
1983(昭和58)年10月3日の噴煙(測候所から撮影)
10月3日13時59分頃より三宅島測候所の地震計に噴火の前駆的微動が記録され始め、15時23分頃、雄山南西山腹二男山付近に生じた割れ目から噴火(溶岩噴泉)が始まりました。微動記録開始より噴火が始まるまでに三宅島測候所で5回の有感地震(体に感じる地震)が記録されています。
雄山南西山腹二男山付近より始まった噴火は、上下に成長し割れ目火口となりました。火口より谷筋を流下した溶岩流は主に3方向に流れ、南南西に流れたものは粟辺地区の都道を横切り海中に達しました。西方に流れたものは阿古地区の400棟を超える住家を埋没・焼き尽くし、海岸近くで止まりました。
また、16時40分前後には島の南部新澪池付近とその南の新鼻海岸付近でマグマ水蒸気爆発が発生し、多量の岩塊が周辺に落下し、多量の火山灰が当方の坪田周辺に積もりました。新鼻海岸付近においては火口が開口しました。溶岩の流出は翌日早朝にほぼ止まりました。
この噴火による損害は、住宅の埋没・消失約400棟。山林耕地等に大きな被害を与えましたが、人的被害はありませんでした。噴出物総量は、溶岩流5〜7×106m3(国土地理院の測定)、火山灰等6×106m3、計2000万トンでした。噴火前後に発生した101回の有感地震の中で最大のものは3日のマグニチュード6.2、震度5でした。
噴火前の阿古集落 |
噴火後の阿古集落 |
噴火前の新澪池 |
噴火後の新澪池 |