1940(昭和15)年7月12日噴火

この噴火では噴気、地熱、鳴動など、はっきりとした前兆現象が見られました。噴火が山腹の居住域から始まったため、死傷者の数は20世紀以降の噴火の中で最悪のものとなりました。

まず、噴火の前年末に赤場暁(あかばっきょう)付近の噴石丘から、また、当年5月に赤場暁の海岸及び北東山腹から水蒸気が上がりました。噴火の1週間ほど前には地熱の上昇、地鳴り、噴気が見られました。噴火数日前から地震が発生しました。2、3日前から海女が赤場暁湾の海中で鳴動を聞いたという記録があります。

7月12日19時30分頃、雄山北東山腹の標高200m付近より噴火しました。噴火割れ目が山腹上方及び下方に延びて火柱が並びました。噴火開始と同時に溶岩が旧神着村、旧坪田村界の沢に沿って流下し、約1時間後には島下集落を覆って赤場暁湾に達しました。噴火は翌13日18時頃まではほとんど連続的に続き、その後間欠的となって急速に弱まりました。

この12日20時頃からの約22時間の間に、溶岩・火山弾・スコリア・火山砂が放出され、スコリア丘であるひょうたん山の形成、赤場暁、ヨリダイ沢溶岩の流下が起こりました。この噴火での谷を流れ下る溶岩流の速さは、人が駆け下りるものと同じくらいであったとされています。山腹噴火は14日3時30分の爆発を最後に終息しました。

7月13日の夜半からは、山頂の中央火口丘の大穴火口からも噴火が始まり、18日頃まで猛烈に噴煙が出て北東方向に火山灰が降下しました。19日〜20日にかけて火口は拡大し、21、22日には山麓でも爆音が聞かれ、火山灰の他にスコリアも降下するようになりました。24〜26日は山頂噴火の最盛期で、間断なく爆発、鳴響が続き、頻繁に火山弾が投出されました。このころ溶岩が山頂火口を埋め、溢れ出たと推定されています。

活発な活動は30日まで続きましたが、31日以降は弱まり、爆音も聞かれなくなっていきました。8月3、4日夜には伊豆から空が真っ赤になる火映が見られました。8月3〜6日には伊豆、伊ヶ谷に降灰があり、強い硫黄臭が感じられました。8月8日には山頂火口の活動もほとんど終息しました。

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