3.11―その時
1 地震発生、その時
地震発生時は、仙台管区気象台4階にある地震火山課事務室にいました。突然の大きな揺れではあったものの、仙台第3合同庁舎は1年余り前に大規模な免震工事を終えたばかりで、その効果は絶大でした。強い揺れは続いたものの、机の上の物や書棚が倒れるようなことは庁舎内では全くなく、大きな揺れを建物が吸収しているためか、何か特異な揺れを感じながらも、長い間耐えていました。しかし強い揺れは10分以上続き、揺れの中で隣の席の地震火山課長と「この長い揺れは何だ!!」と…、「この揺れ方は、発生が危惧されていた宮城県沖地震とは異なる」と直観的に思いました。「とてつもなく長い断層が動いている?」もしくは「沈み込むプレートが大きく割れている?」…そんなことを考えるような長い揺れでした。
免震構造の建物の中で長い揺れを感じながら、窓の外を見てみると、榴岡公園の木々や電信柱がさらに大きく揺れていました。後になって思えば、これまでに現地調査などで被災者から何度か聞かされることになる「これまでに経験したことのない強い揺れ」そのものと言える状況でした。後に仙台市付近の震度計の記録からは、震度4以上の揺れが15~18分も続くという、これまでに観測したことのない、まさに巨大な地震でした。
強い揺れの後、地震火山課長と急いで階段を下り「これは大津波だ!!」と叫び合って、庁舎2階の地震火山課現業室に向かいました。
図1仙台管区気象台で観測した震度の時間推移
震度5弱以上の揺れが約2分間続きました。
2 大津波が来る
仙台管区気象台の地震現業では当時、津波警報、注意報発表時には管内の津波計を監視する重要な業務がありました。沖合20㎞ほどに設置されていたGPS波浪計は、運用を始めてから、これまでに大きな津波観測の実績はありませんでした。しかし、GPS波浪計に関する調査報告などから、太平洋側のGPS波浪計では「観測値の3~4倍の値が、沿岸部での津波高になる」と認識していました。地震発生直後から障害となった観測施設も多かったですが、現業室の監視画面から見えるGPS波浪計は、地震発生(14時46分)から20~30分後の15時10分頃から、沖合での津波の状況を記録し始めていました。気仙沼広田湾沖、岩手県宮古沖、岩手県釜石沖の各観測点では急激な変化が見られ、いずれも4~5mまで上昇していました。この大きな変化は「異常値ではないのか?」と疑う見方もありましたが、複数観測点でのほぼ同時変化でもあり、認めざるを得ない状況でした。
後にGPS波浪計の記録を精査すると、岩手県釜石沖では15時12分に最大波高6.5mを記録していました。気象庁の津波予報システムは、震源が海域であった場合、地震の規模(マグニチュード)と震源の深さから、津波予報のグレードはほぼ決定されます。この地震では、当初の地震の規模が過小評価であったため、後に津波警報の更新を繰り返す経過を辿っています。各地のGPS波浪計の急激な変化を監視しながら、切迫する状況をテレビ会議システムを通じ、気象庁本庁地震現業に対して大きな声で津波警報の更新を急ぐよう、何度も要望し続けました。
3 報道機関への対応
3月11日夕刻、東北地方太平洋沖地震に関する記者会見を仙台管区気象台で行いました。技術部長同席のもと、地震情報官の私から本震、余震、津波の状況などについての説明を行いました。報道各社に配布している会見資料は、通常の地震発生時と同じように気象庁本庁と資料の擦り合わせを行ったうえで、今回の巨大地震の基本的な性質や津波の今後の推移、活発な活動を続けている余震の状況などについて、ごく短い時間ではあるものの本庁の会見者である地震津波監視課長と協議して会見に臨みました。
またこの日、宮城県庁に県災害対策本部が設置され、関係機関が県庁に集まることになりました。そのため、翌日3月12日以降は気象台も含めて各機関での個別の記者会見は行わず、県庁で一元的に実施することになり臨時の震度計設置や沿岸部での津波計の改修・復旧など、少しずつではあるものの気象台の対応状況を、報道機関に伝えていただきました。
通常の地震と異なる対応としては、海外の取材を何件か受けました。欧州、米国、韓国などの放送局の取材クルーが仙台管区気象台に来られました。いずれも「通訳を介して、日本語の説明で良い」とのことでしたが、インタビューの内容は巨大地震のメカニズム的な内容よりはむしろ、「この地震の発生を受けてどのように感じたか?」のような、心情的に訴える質問が多かったように思います。
図2技術部長とともに記者会見に臨む川原田氏(左)
4 観測点障害と向き合う
各種観測施設(地震計、計測震度計、津波計)の障害が多く発生したため、頻発する余震の対応において、精度の高い情報を発表するためには、各種観測施設の復旧が急がれました。中でも沿岸部の津波計は、ほとんどが障害欠測となっていました。大きな余震が続く中、津波の実況監視は最も重要な業務であるため、津波計の復旧が特に急がれました。
太平洋側沿岸部の住民の方々の多くが体験した巨大津波の脅威は想像以上でした。この状況に早急に対処するため、本庁と協議の上、津波観測機器の設置までの間、青森地方気象台職員や第二管区海上保安本部の協力によって、沿岸部での海面の変化を目視により監視することにしました。何とも頼りない観測手法でしたが…、特に夜間などはさらに観測精度が低下するものの、やむを得ない状況でした。
震度計も多くの観測点で障害となりました。観測施設が無事であったところも広範囲で停電が続いており、バッテリーによる稼働も72時間を経過すると観測点障害となるため、地震発生から3日間を経過して以降は、多くの観測点からデータを入手することが困難となりました。しかしこの頃から、本庁から観測機器とともに技術職員の応援が到着し始め、少しずつではあるものの、本来の業務に戻る兆しが見え始めていました。
5 災害対策本部への対応
宮城県災害対策本部へは、仙台管区気象台全体で対応し、地震火山課からも職員を交代で派遣しました。当初は県庁会議室わきの廊下での泊まり込みの体制であったため、人員の確保にも苦慮していました。
政府の緊急災害現地対策本部へは、本庁からの職員派遣もあり、管区職員や地震情報官などは後方支援程度の参画となりました。管区では対応する職員が少ない中、本庁からの職員派遣はありがたかったですね。政府の緊急災害現地対策本部の状況は、災害の規模や範囲があまりにも広く、当初から行方不明者の捜索などへの対応が中心であり、気象庁からは活動状況の資料を報告する程度に留まりました。
6 発災直後の仙台の街
県庁への移動は、基本的には徒歩でした。仙台市中心部の夜は暗く、まるで別の街を歩いているような感覚でした。明かりが灯っているのは、車が長く連なっている一部のガソリンスタンドと、無料で携帯電話の充電サービスを行っている携帯各社の店舗ぐらいでした。「停電により街が暗いと、仙台のような都会でも星空がこんなにも綺麗に見えるのか…」と、感心しながら夜空を眺めていました。
図3停電した仙台市内
7 頑張ってくれ!
発災直後は公共交通機関に障害が発生していることもあり、多くの職員が気象台に泊まり込む状況が続きました。4階事務室では、床に段ボールを敷いて横になって休んでいましたが、地震発生直後から部外からの電話が多く掛かっており、その対応が大変でした。電話の内容は津波警報への問い合わせなど、気象台への苦情に類する内容が多く、深夜帯においても電話はよく鳴っていました。津波警報の過小発表への苦情は何度も受けましたが、「3月9日に三陸沖で発生した地震の津波注意報を、なぜ解除したのか?」、「ずっと出しておくべきではなかったのか?」のような、説明に苦慮する問いも度々ありました。
私が対応した電話の中には、自分の知人が津波で行方不明になっているとのことで、当初は気象庁の情報発表に関する苦情らしき文言を繰り返されていましたが、最後には「あなた達も大変だよな、頑張ってくれ!」と涙交じりに話されていた声が、後々まで頭に残りました。誰かに何かを言わなければ、気持ちの整理がつかない人達が多いことを痛感していました。
8 病院で迎えた誕生日
寝不足と緊張のためか、3月13日の夜頃から体調がすぐれませんでした。周りの職員の勧めもあり、翌日内科クリニックを訪れ、廊下で血圧を測ると上が190を超えていました。
看護師も驚いたようで「そのまま入院を…」と勧められましたが、入院はできなかったため、ベッドに横になり点滴を受けました。看護師が私のカルテを見ながら「川原田さん、お誕生日おめでとうございます」と…、今日(3月14日)が誕生日であったことを、この時思い出しました。思えば子供の頃から、誕生日が近づくと熱を出したり、ケガをしたり…3月のこの時期はあまりいい思い出がなかったなぁ…。平成23年の誕生日は、ベッドで天井を見ながら、落ち着かない時を過ごすこととなりました。点滴後に2~3時間横になると少し体調が落ち着いてきたので、職場に戻りました。ちなみにその後の検査を通じて、血圧降下の薬は今日まで常用することになりました…。
9 気象台のプレゼンス
地震発生後の災害対策本部で気象台のプレゼンスを高めるものは、発災直後では発生した地震の特徴や余震活動、津波の観測状況、津波警報の見通しなどの情報となりますが、数日後からは「被災者の救援や災害復興に必要になるピンポイントの気象情報」だと感じるケースが、これまでに何度かありました。平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震では、それが特に顕著となりました。地震発生直後は行方不明者の捜索が最優先でしたが、この内陸地震では、栗駒山周辺の広い範囲で地滑りや土砂崩れが発生しており、捜索場所も河道閉塞などによる土石流の発生が極めて危険な地形でした。このため、雨による二次災害防止の観点から、特に精度の高い気象情報が求められました。災害対策本部会議は毎回緊迫した中で行われ、仙台管区気象台予報課の担当者は緊張しながらも、今後の予報を中心に丁寧に気象情報の説明を行っていました。
この経験を踏まえ東日本大震災では、県災害対策本部において災害対策要員の職員が、地震活動や津波の状況、今後の気象状況の推移の資料提供・解説のほか、各機関のヘリ担当者向けにブリーフィングを行いました。3月14日朝には、県災害対策本部に「津波が来ている」という情報が寄せられたため、直ちに本庁に問い合わせて誤報であることを確認し、本部において説明を行いました。
10 防災講演会
私は気象庁を退職後、防災講演会などの活動を行っています。私が防災講演会で意識していることは、「聴講者と同じ目線であることを、説明の中で強調すること」だと思っています。例えば「危険が迫ると避難する」、これは当たり前のことで防災の基本的行動ですが、「現実に避難することは大変難しい」との説明から始めています。「どうして難しいのか」の説明は、聴講者の方々にも理解しやすく、関心を引くには適切な切り口だと考えています。
講演会で気をつけていることは、「講演の場は、決して自分の知識を披露する場ではない」ということです。すなわち、聴講者が何を聞きたいのかを考えながら、その聞きたいテーマに関連する内容に絞り、自分の知識の中から具体的事例を示して説明することが重要だと考えています。
退職後は当然ながら、地震や気象分野の最新の技術や関連する情報を入手することが難しくなります。講演で示す各種のデータはできる限り最新のものにアップデートするように心がけているものの、ネット情報のみではやはり限界があり、最新の動向なども含めて、現職職員からの聞き取りも大いに参考にさせていただいています。
「聴講者に満足いただける講演とは、どのようなものなのか」については、私自身も毎回悩みながら、少しずつでも改善するように心がけています。講演を終えるたびに、「今日は早口ではなかったか?」、「説明がくどくはなかったか?」など、反省の日々の連続であります。
図4防災講演会の様子
11 今後の気象庁・仙台管区気象台へ…
観測や各種業務処理の機械化・IT化が進む中、気象庁全体の組織的集約化の流れは今後も続いていくと思います。その流れへの対策として、防災業務への移行を挙げているように見えますが、若干不明瞭に感じることもあります。自治体との連携については、以前から関係強化は謳われており、今後自治体とどのような連携強化を具体的に行おうとしているのか、さらに注目したいと思います。
地震火山業務においては、大学との連携は以前から積極的に行われていました。課題として専門家の人材不足が指摘されているようですが、今後は大学や研究機関などとの人事交流も含めて、気象庁・仙台管区気象台としても専門家の育成に力を入れるべきと考えます。やはり組織は人によって成り立っており、優秀な人材を一人でも確保することが、将来の気象庁・仙台管区気象台の発展に大きく寄与することになるのではないか、と考えています。