明治29年(1896年)明治三陸地震130年 特設サイト
令和8年(2026年)6月公開
仙台管区気象台・青森地方気象台・盛岡地方気象台作成
目次
はじめに
小さい揺れでも大きな津波!~1896年6月15日「明治三陸地震」~
明治29年(1896年)6月15日19時32分に三陸沖(宮古の東170km付近)で地震が発生し、北海道と東北地方及び関東地方で震度3~1程度の揺れが観測されました。揺れが比較的小さかったにもかかわらず、大きな津波が東北地方太平洋沿岸に来襲しました。(中央気象台,
1902)
この地震による津波被害から130年が経過しました。あらためて当時の状況を振り返り、日頃からの地震や津波への備えを再確認しましょう。
写真に残る被災の記録
宮城、岩手、青森の3県及び東京とその周辺から25名の写真師が現地入りし、記録が残されています。その写真の一部は原乾板やプリントで盛岡地方気象台、宮内庁書陵部、日本赤十字社などに残っています。一部の写真には裏書メモも残っていました(沼田, 2020)。
盛岡地方気象台には宮古測候所(2007年に廃止)が集めた資料が残されており、鍬ヶ崎町の末崎仁平氏が被災の翌日から鍬ヶ崎町周辺(現在の岩手県宮古市、※1)で撮影した写真がガラス乾板で残っていました(写真1~13:ガラス乾板は保管と活用のため2020年3月に岩手県立博物館に寄贈)。盛岡地方気象台には写真の説明は残されていませんでしたが、宮古の「タウン情報社」が末崎氏が撮影した写真の印刷を所蔵しており、説明が残っていました(橋本, 2013)。この説明を写真1~13の脚注で参照しました。
また八戸市立図書館には、郷土史家の中里進氏が集めた、三沢や八戸で撮影された明治三陸地震による津波被害写真が所蔵されています。三戸郡階上村追越(現在の青森県階上町、※2)と三戸郡湊村白銀(現在の青森県八戸市、※3)で撮影でされた比較的鮮明な2枚(写真14・15)を紹介いたします。
※1~3:撮影地域(推定)を地理院地図(電子国土WEB)(外部リンク)上で示しました。
画像(写真)を押すと拡大します。
写真1 宮古町光岸地 |
![]() 写真2 鍬ヶ崎上町から南方沿岸 |
![]() 写真3 |
|---|---|---|
![]() 写真4 |
![]() 写真5 鍬ヶ崎町(岩手県立博物館蔵) |
![]() 写真6 鍬ケ崎町蛸ノ浜(岩手県立博物館蔵) |
![]() 写真7 |
![]() 写真8 鍬ヶ崎町全景(岩手県立博物館蔵) |
![]() 写真9 鍬ヶ崎町二丁目 |
![]() 写真10 鍬ヶ崎町 |
![]() 写真11 鍬ヶ崎三丁目(岩手県立博物館蔵) |
![]() 写真12 鍬ヶ崎下町(岩手県立博物館蔵) |
![]() 写真13 |
![]() 写真14 三戸郡階上村追越 |
![]() 写真15 三戸郡湊村白銀 |
画像(写真)を押すと拡大します。
地震・津波による被害
被害は、表1のとおりです(内閣府,2005)。死者2万2千人にのぼるなど人的・物的に甚大なものでした。宮城県では沿岸戸数の3分の1、住民の1割以上、岩手県では沿岸戸数の約半数、住民の4分の1が失われました。また、住居が流されただけでなく、村の行政、治安、情報伝達、教育などの拠点施設も被災し、行政官や警察官なども死亡したため、災害後の応急処置や復興にも大きく影響しました。
表1 津波被害人口及び被害戸数
| 人口[人] | 戸数 | |||||
| 死亡 | 負傷 | 流失 | 全壊 | 半壊 | 浸水 | |
| 岩手県 | 18,158 | 2,943 | 5,183 | 434 | 419 | 1,175 |
| 宮城県 | 3,446 | 742 | 993 | 130 | 264 | 1,022 |
| 青森県 | 316 | 214 | 351 | 183 | 0 | 51 |
地震・津波の概要
<どんな地震と津波だった?>
明治29年(1896年)6月15日19時32分に三陸沖(宮古の東170km付近)で地震が発生し、北海道と東北地方及び関東地方で震度3~1程度の揺れが観測されました(図1)。当時の震度は体感に基づくものです(「震度について」気象庁HP)
。地震の規模は、体感および周囲の状況から、M8.2と推定されています。また、地震発生から約30分後に東北太平洋沿岸を中心に巨大な津波が来襲しました。津波の最大遡上高は、岩手県綾里村(現在の大船渡市)で38.2mでした(図2)(地震調査研究推進本部,2009)。
この地震は太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生したと考えられており(「地震発生の仕組み」気象庁HP)、この津波は三陸沖の海底で大規模な地震による地殻変動により発生したと考えられています。
<この地震と津波の特徴は?>
この地震の地震波を解析したところ、断層破壊が100秒程度継続していました(金森,1972)。断層破壊の面積が非常に広く、断層破壊の速度がゆっくりと長時間進行すると、揺れはそれほど強くないものの、甚大な被害をもたらす津波が発生しやすいことが指摘されています(例えば「1992年9月2日ニカラグア津波地震」,菊地・金森,1994)。明治三陸地震もそのような津波を発生させやすい地震であったと考えられています。
![]() 図1 震度分布(気象庁,1983) |
![]() 図2 津波高さ(地震調査推進本部,2009) |
明治三陸地震に学ぶ「津波から身を守る!」
気象庁は地震が発生してから約3分を目標に大津波警報・津波警報または津波注意報を発表しています。
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コラム1「津波てんでんこ」
「津波てんでんこ」は、津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台へ逃げろという古くからの言い伝えです。三陸地方では、明治の大津波を生き抜いた親から子へそして孫へと、津波の恐ろしさとともに、「自分の命は自分が守らなければならない」という「命てんでんこ」の教えを家庭内で言い伝えてきました。「てんでんこ」は、「それぞれに」「めいめいに」を意味する名詞「てんでん」に、東北の方言などでみられる縮小辞「こ」が付いた言葉です。こどもやお年寄りを助けようとして、家族が全滅するという経験を得て、置き去りにして逃げるわけではなく、お互いがそれぞれに逃げることで、お互いが生き延びられるという経験からの言い伝えです。「津波てんでんこ」という言葉が世間に広く知られるきっかけを作ったのは、津波研究家の山下文男氏で、著書『津波てんでんこ:近代日本の津波史』(2008)のなかで、この言葉の由来が語られています。
1896年の明治三陸地震による津波では、山下氏の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死しました。山下氏自身も9歳の時(1933年)に昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れています。そうした体験を踏まえて津波防災活動や津波災害史の研究に従事、著書や講演活動などを通じて「津波てんでんこ」の教訓を広めてきました。2011年3月11日に起きた東日本大震災では、入院中の陸前高田市の病院で津波に遭遇。4階まで押し寄せた水に首まで漬かる中、カーテンにしがみついて奇跡的に生還を遂げています。その後も、津波に関する情報発信を続けていました。他著書に「哀史三陸大津波」「津波てんでんこ 近代日本の津波史」などがあります。
東北には多くの伝承施設があります。機会を見て足を運んでみてください。(震災伝承ネットワーク協議会事務局(国土交通省東北地方整備局企画部)「3.11伝承ロード」(外部リンク))
コラム2「明治三陸地震による津波から津波発生モデルを提唱」
明治三陸地震発生以降、2人の地震学者がそれぞれ津波発生のモデルを提唱しました。1人は東京大学地震学教室教授の大森房吉博士で、当時の地震学をリードする立場でした。大森博士は地震の揺れが海水に影響を及ぼし、津波が発生するというモデル(流体振子説)を提唱しました。もう1人は明治三陸地震以降、現地の三陸沿岸に現地調査のため複数回訪れていた東京大学地震学教室助教授の今村明恒博士で、現在一般的に知られている海底地殻変動による津波発生モデルを提唱しました(今村,1905)。発表当時は大森博士のモデルが学界の大勢で、今村博士のモデルは支持されませんでした。しかしその後、今村明恒博士の津波発生モデルは地震学を始め科学技術の進歩を背景に社会に受け入れられ、現在では気象庁が行っている津波を予測するしくみの根底にあるものとなっています(「津波を予測するしくみ」気象庁HP)。
大森房吉博士と今村明恒博士の詳細については国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」(外部リンク)を参照ください。
参考資料・出典
- 中央気象台(1902): 明治二九年地震報告、中央気象台年報第二編、明治35年
- 沼田清(2020):[資料]明治三陸津波の写真記録の全体像、歴史地震、第35号、139-155頁
https://www.histeq.jp/kaishi/HE35/HE35_139_155_Numata.pdf - 橋本久夫(2013): 月刊みやこわが町9月号写真集鍬ヶ崎Part 2明治29年6月15日三陸大津波編、タウン情報社、20-39頁
- 内閣府(2005):災害教訓の継承に関する専門調査会報告書
(「1896明治三陸地震津波」災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成17年3月) - 気象庁(1983):日本付近の地域・海域別の被害地震・津波地震の表及び震度分布図
- 地震調査研究推進本部(2009):日本の地震活動― 被害地震から見た地域別の特徴 ―
<第2版>
https://www.jishin.go.jp/resource/seismicity_japan/ - 山下文男(2005):津波の恐怖―三陸津波伝承録―、東北大学出版会
- 山下文男(2008):津波てんでんこ:近代日本の津波史、新日本出版社
- 山下文男(2011):哀史 三陸大津波-歴史の教訓に学ぶ-、河出書房新社
- 金森博雄(1972):津波地震のメカニズム、地震学会講演予稿集
- 菊地正幸・金森博雄(1994):1992年9月2日ニカラグア津波地震の震源特性、日本地震学会講演予稿集
- 今村 明恒(1905):地震津浪の原因に就て、地学雑誌17 巻11 号、792-801頁
https://doi.org/10.5026/jgeography.17.792

















