浅間山火山防災連絡事務所


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 気象庁の観測体制

 気象庁は、札幌・仙台・東京・福岡の各火山監視・警報センターで、全国111の活火山の活動状況を監視しています。このうち50火山については、他機関(大学等研究機関や自治体・防災機関等)の協力を得ながら、地震計GNSS、傾斜計空振計監視カメラなどにより、24時間体制で監視しています。この他の火山も、定期的または必要に応じて、現地で機動観測を行い、活動状況を把握しています。
 これらの結果に基づき全国の活火山について、居住地域や火口周辺に影響が及ぶような噴火の発生が予想された場合は、噴火警報を発表します。噴火予報は、噴火警報を解除する場合など噴火警報が発表されていない状態を表します。ただし、活火山であることに留意してください。

 観測点配置図


  浅間山の観測点配置図

    (クリックすると拡大します(気象庁ホームページ)。)


 観測小屋の外観

 観測小屋の建物

  【写真 観測小屋】

 各観測機器について

  

 地震計の計測部

 火山体やその周辺に発生する火山性地震、火山性微動等を観測するための機器です。また、その観測された地震波形から、地震が発生した時間、場所、規模等を決定し、火山活動の状態を監視しています。

  【写真 地震計】



  

 GNSSのアンテナ

 山体に新たにマグマの貫入等があると、その火山体や周辺の近くが傾斜変化したり、膨張・収縮したりします。その変動を観測するための機器です。

 注)GNSS(Global Navigation Satellite Systems)とは、GPSをはじめとする衛星測位システム全般を示す呼称です。

  【写真 GNSS】



  

 監視カメラの外観

 火山を定点から監視カメラを用いて、噴煙の高さ、色、噴出物(火山灰、噴石など)を監視する。
 火山監視・警報センターでは、常時観測火山に設置した火山遠望観測装置(高感度カメラまたは可視・赤外カメラ)により、24時間、火山活動を監視しています。

  【写真 監視カメラ】

  各機関の映像

     気象庁(追分、鬼押)
     軽井沢町
     長野県佐久建設事務所(黒斑山、軽井沢町役場、御代田町役場)
     利根川水系砂防事務所



  

 空振計の外観

 噴火や爆発に伴う空気圧の変動を観測する機器。


  【写真 空振計】



  
 
 浅間山の火山ガスには、マグマに溶けていた水蒸気、二酸化硫黄(SO2)、硫化水素など様々な成分が含まれています。その中でも、SO2はマグマが浅い所まで上昇すると放出量が増加する傾向があります。また、SO2は太陽光のうち特定の波長の紫外線を吸収する性質があるので、浅間山火山防災連絡事務所では、その性質を利用してSO2の放出量を観測し、マグマの活動の高まりの推定に役立てています。
 火山ガス観測の原理 紫外線を吸収する性質を利用
過去のガス観測結果(気象庁ホームページへ)

観測結果
 観測機器から得られたデータ等を総合的に判断し、居住地域や火口周辺に影響が及ぶような噴火が発生が予想された場合は、噴火警報を発表します。また、火山活動を静穏(活火山であることに留意)時から24時間体制で監視しており、その火山活動の状況等を取りまとめた資料(火山活動解説資料)を公表しています。

 これらの結果に基づき全国の活火山について、居住地域や火口周辺に影響が及ぶような噴火の発生が予想された場合は、噴火警報を発表します。また、噴火警報を解除する場合や、火山活動の静穏(活火山であることに留意)な状態が続くことをお知らせする場合には、噴火予報を発表します。


 浅間山の観測の歴史
  
 浅間山における火山観測の歴史は古く、平成23年(2011年)8月で観測開始100年の節目を迎えました。
 旧軽井沢測候所の火山観測業務は、明治44年(1911年)8月26日、浅間山の西南西山腹(通称、湯の平)に我が国最初の火山観測所として長野県予算で建設され、当時の文部省震災予防調査会と長野県立長野測候所(現在の長野地方気象台)の協力で開始されました。

 当時の浅間山の火山活動は、明治42年(1909年)から顕著な噴火が相次いで発生するようになっており、浅間山麓の住民は天明のような災害の再来を恐れ、浅間山の活動に対する関心が高まっていました。このため長野県では、大山綱昌知事が震災予防調査会に対して浅間山の調査を依頼し、さらに震災予防調査会と長野測候所が協力して、我が国最初の火山観測所を浅間山に設立することになったのです。

 この観測所の建設を強く働きかけ設立に深く関わったのは、震災予防調査会幹事で東京帝国大学教授でもあった大森房吉博士と、長野測候所長西澤順作測候技師の両氏でした。明治から大正期における浅間山の火山観測は、この二人の指導によって精力的に実施され、火山の観測と調査を任務とする我が国最初の火山観測所の設立運営として結実しました。なお、この火山観測所は、大森幹事のライバルであった今村明恒博士により「浅間火山観測所」と命名されています。

浅間火山観測所(湯の平)の建物
           写真  浅間火山観測所(湯の平) 人物左:大森 人物右:西澤 (1913年6月30日撮影)

 この火山観測所は、地震や噴火の観測を行う場所には適していましたが、標高約2000mの湯の平高原にあったため、冬の寒さが厳しく、冬期間の観測は大変困難でした。また、噴火時には噴石の落下範囲内となり、観測所の周辺には噴石が度々落下し、一時は観測所を閉鎖し待避したこともあり、必ずしも安全とは言えませんでした。

 このため、冬期も連続した観測が可能で、天明の噴火程度の大規模な噴火でも安全に観測が行うことができる新たな火山観測所として、大正12年(1923年)7月に浅間山の南山麓の追分(旧測候所の位置)に「浅間火山追分観測所」が建設されました。これにより一年を通した浅間山の常時観測体制が整えられたのです。しかし、火山観測所はその後、大森房吉の急死や震災予防調査会が廃止されたことから、長野県及び長野測候所で運営されることとなり、大正15年(1926年)には「長野測候所追分支所」として再発足しました。さらに気象官署の中央気象台(現、気象庁)への移管や、長倉(中軽井沢)に航空気象観測を主目的に設けられた中央気象台軽井沢観測所との統合等を経て、「軽井沢測候所」へと生まれ変わったのです。平成20年(2008年)4月より、軽井沢測候所における火山業務を地元自治体と連携して行うことを目的として、軽井沢消防署内に「浅間山火山防災連絡事務所」が設置され、平成21年(2009年)10月に軽井沢測候所は無人化されました。

浅間火山追分観測所(長野測候所追分支所)の建物
           写真 浅間火山追分観測所(長野測候所追分支所) (1926年2月18日撮影)

中央気象台軽井沢観測所の建物
           写真 中央気象台軽井沢観測所 (1939年2月撮影)

軽井沢測候所(新庁舎)の建物
           写真 軽井沢測候所 (2007年5月21日撮影)
   
 浅間山の火山観測は、このように明治、大正、昭和、平成に至る100年の長きにわたり、関係者の不断の努力により、気象庁における火山観測業務として受け継がれ、貴重な観測データを得ることができました。この間、大森房吉、西澤順作、梶間百樹、水上武、関谷溥、下鶴大輔、荒牧重雄の各氏をはじめとした大学、気象庁の研究者、技術者によって、火山学や火山噴火予知の発展に大きく貢献すると共に、地域住民や登山者の安全確保に役立てられました。特に、昭和33年(1958年)や昭和48年(1973年)等の噴火に際しては、気象庁と大学との緊密な協力に基づく情報の提供により、事前に地元市町村による火口への登山規制や、臨時火山情報の発表などがスムーズに行われました。

             大森先生        西澤所長
             写真 大森房吉(1868-1923)           写真 西澤順作(1864-1928)

 浅間山の火山活動の監視や火山情報の発表は、気象庁本庁の火山監視・警報センターにて24時間体制で行われています。
 浅間山火山防災連絡事務所では、浅間山周辺の住民や登山者の安全のため、火山防災知識の普及・防災活動支援など、地元自治体、大学、関係機関と連携を密にした様々な取り組みを進めています。


 浅間山火山観測100年(浅間山の火山監視・防災業務の履歴)

 浅間山火山観測100年(近代火山観測沿革略史)

 軽井沢町立図書館デジタルアーカイブへのリンク(浅間山や軽井沢町に関係する写真、各種資料、書籍、映像等が閲覧できます)

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