由岐町 康暦の碑
正平地震
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康暦の碑 康暦2年(1380年)建立 |
由岐町教育委員会の案内板 | 碑から大池方面を望む |
南海地震のものとしては最古の碑といわれ、 この災害で命を失った人たちを供養するために建立されたものと思われています。
なお、「太平記」によると、康安元年(1361年)の大地震について、 「康安元年(正平一六年)六月十八日の巳刻より同十月に至るまで、大地おびただしく動いて、日々夜々に止時なし。 山は崩て谷を埋み、海は傾て陸地に成しかば神社、仏閣倒れ破れ、牛馬人民の死傷する事、幾千万と云数を知ず。 総て山川・江河・林野・村落此災に遭ずと云所なし。 中にも阿波の雪(由岐)の湊と伝浦には、俄に太山の如くなる潮漲来て、在家一千七百余宇、悉引塩に連て海底に沈しかば、 家々に有所の僧俗、男女、牛馬・鶏犬、一も残らず底の藻屑と成にけり。(後略)」とあります。
また、「阿波志」によると、 この地震で裂けて池ができたとあり、大池(現在は大部分が埋め立てられている)がこれにあたるといわれています。