青ヶ島 有史以降の火山活動

有史以降の火山活動(▲は噴火年を示す)

年代 現象 活動経過・被害状況等
 1652(承応元)年 噴火? 噴煙。
▲1670~80 (寛文10~延宝8)年 噴火 噴火場所は池の沢火口内(大池)。火口(大池)で細砂噴出(約10年間続く)。
▲1780(安永9)年 噴火 7月19日から約1週間地震群発。7月28日新火口生成、多量の湯湧出。火孔増加、池増大、湯温上昇。植物枯死。
▲1781(天明元)年 噴火 噴火場所は池の沢火口内のみそねが崎。噴火前日から地震、6月2日に火口原から灰を、後に湯を噴出、畑地被害。
▲1783(天明3)年 中規模:マグマ噴火→(泥流) 火砕物降下、泥流。噴火場所は池の沢火口内の複数の火口、丸山火砕丘。3月26日砂を噴出、4月10日の地震後、火口原に火口生成。赤熱噴石を噴き上げ最大約2m、噴石が島中に降り61戸焼失、死者7名。翌11日砂や泥土を噴出、15日火炎、黒煙、噴石は火口原を埋め、さらに高さ100m余りの2つの噴石丘を形成。マグマ噴出量は0.006 DRE km3。(VEI3)
▲1783~85(天明3~5)年の間 中規模:マグマ噴火 溶岩流。噴火場所は丸山火砕丘。マグマ噴出量は0.0025 DRE km3
▲1785(天明5)年 中規模:マグマ噴火 天明5年噴火:火砕物降下→溶岩流。噴火場所は丸山火砕丘。4月18日火口原から噴火を始め噴煙、赤熱噴石、泥土噴出、5月頃まで続く。当時327人の居住者のうち130~140名が死亡と推定され、残りは八丈島に避難し、以後50余年無人島となる。マグマ噴出量は0.009 DRE km3
 2012(平成24)年 海水変色 8月26日に海上保安庁が実施した上空からの観測で、島の南東沖(島の南端から南東方向に1300m付近、水深63m)に、従来観測されていなかった直径900m程度の円形の薄緑色の変色水を確認。9月21日の観測では、変色域は認められなくなった。

日本活火山総覧(第4版)(気象庁編、2013)による。
噴火イベントの年代、噴火場所、噴火様式等については、(国研)産業技術総合研究所の活火山データベース(工藤・星住, 2006)を参考に、文献の追記を行った。
なお、噴出物量については、降下火砕物、火砕流、火砕サージ、溶岩流、溶岩ドーム等を加えた重量(単位は「ton」)またはマグマ噴出量(DRE km3)で記載している。また、噴出物量が既知である場合については、産業技術総合研究所作成の活火山データベースから参照し、VEI(火山爆発指数)も付している。詳しくはこちらを参照のこと。



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