気象庁精密地震観測室技術報告 第22号 63〜66頁 平成17年3月

松代群発地震はいつ始まったか?

小林 正志・春原 美幸*・伊藤 優*・神定 健二・北村 良江・小山 卓三

When did the Matsushiro Earthquake Swarm start ?
Masashi KOBAYASHI, Miyuki SUNOHARA, Yu ITOH, Kenji KANJO, Yoshie KITAMURA and Takumi KOYAMA

1.はじめに
 1965年8月3日に始まった松代群発地震は,当初は皆神山を中心とする震源域での微小地震活動に始まり,その後約3年間にわたり活動の消長を繰り返し た.また震源域も北東および南西方向に拡大し,有感地震発生数も6万回を越え多くの被害を発生させた.我が国で地震観測が始まって以来の最大規模の群発地 震活動であった.現在も微弱な地震ではあるが1日数回程度の活動がある.
 松代群発地震が発生した長野県北部は,1847年に発生した善光寺地震(M7.4)を始めとする被害地震や地震鳴動および群発地震活動がしばしば報告されている‘信濃川地震集中帯’と呼ばれる地震活動の高い地域である.
 精密地震観測室では,1949年5月7日より,ウイーヘルト地震計により観測を開始し,以降各種地震計により得られたデータは「地震観測原簿」として記 録されている.そのうちの1965年10月1日〜1971年1月10日の約5年間について抜粋し「松代地震観測原簿」を作成した.さらに当室での有感地震 を,通算番号,発現時刻,松代での震度およびJMA震源の構成でデジタル化し,「松代震度データベース」を作成した(小林,2004).現在上記「松代地 震観測原簿」のデジタル化を完成させ,「地震観測原簿」のデジタル化を進めておるところであるが,処理のほぼ完了している1949年5月7日の観測開始か ら群発地震開始前日の1965年8月2日までのデータから,S−Pが3秒以下の地震を抽出して地震活動を調査した.Table1に1949年〜1967年 の当室における地震計稼働状況の変遷を示す.
 また,大正4年4月25日付で,当時の長野地方測候所が発行した「信州の地震」という冊子が発見され,1889年(明冶22年)〜1907年(明治40年)の期間に松代町の南約7kmに位置する鏡台山付近を震源域とする地震活動が発見されたので報告する.

2.松代群発地震以前の同地方の活動
 松代群発地震は1965年8月1日に世界標準地震計(固有周期1秒,倍率50,000倍)と歪み地震計が当室に整備された2日後の1965年8月3日の 12時18分48秒に始まり,同日17時03分07秒,19時21分52秒と続く微小地震活動から始まったとされている.新設された世界標準地震計により 記録された最初の地震波形を示す(Fig.1).当室では,1949年5月7日より,ウイーヘルト地震計他各種地震計による観測記録とその検測値を「地震 観測原簿」として残している,現在,この原簿を全てデジタル化するための再入力作業を進めている.1949年5月7日から群発地震活動開始前日の1965 年8月2日までのデータから,S−Pが3秒以下の地震を抽出(748回)し,初期微動継続時間毎に月別の地震発生数で示した(Fig.2).ま た,Fig.3には,同じく当室で抽出した地震発生数を赤色で示し,同期間長野地方気象台で稼働していたウイーヘルト地震計,51型強震計などによる観測 記録を記述し,同台で保管されている地震観測原簿から,対応する地震を抽出しその発生数(114回)を緑色で示す.
 Fig.2,3で1955年半ば頃から地震数が増えたように見えるが,table1で示したように短周期上下動地震計(固有周期1秒,倍率当初 10,000倍,1955.9.23以降31,000倍)が整備されたため検知力が向上したようである.これ以降活動の推移が見られるようになった.
 群発地震活動前の活動は,1958年からやや活発になり,1963年4月には50回を越える活動があり,1965年には活動が静穏化した後に松代群発地 震が発生しているように見える.また,1958年以降2年半周期で活動の消長が見られるようだ.1961年以降の活動を詳細に見ると,松代の初期微動継続 時間の2秒以内の数が増しているように見られることや,長野地方気象台でとらえている地震の数があまり増えていないことから,地震発生地域は松代近辺であ り,長野−松代の間での活動ではなく,長野市から離れた地域での活動と考えられる.松代と長野地方気象台の2点の観測データから正確な震源を求めることは 困難であるが,2点のS−Pの検測値から1963年4月の活動は松代の南西約15km付近と推定される.同様な調査が既に行われており,松代付近の過去の 大地震および群発地震は全て1965年8月3日からの群発地域外で発生している.また,小群発活動が1963年4月から1964年6月にかけて何回か発生 しているが,その発生地域は初期の松代群発地震発生地域とは異なり,その発生の空白を埋めるように松代群発地震は発生したという報告がある (Arakawa and Suyehiro,1970).

3.松代付近で発生した地震(明治22〜40年)
 大正4年4月25日付で,当時の長野地方測候所により発行された「信州の地震」という冊子が発見され,明治22年〜40年の期間に松代付近で発生したと 推定される地震を抜粋した(Table2).ただし,善光寺地震(1847年)およびその余震については除いた.また,長野市付近に発生した地震,上田地 震(1894年)とその余震,高井地震(1897年)とその余震についても除いた.地震のほとんどが鏡台山を中心に発生していたようである.鏡台山(きょ うだいさん)は松代町の南約7kmにある山の名前であるが,ここでは震源域名として使用されていたようである.以上のことから,明治22年から40年の期 間に,松代群発地震の震源域の南端境界を震源に,年に1〜2回程度の有感地震が発生していたことが明らかになった.

4.まとめ
 1949年5月7日から運用をを開始したウイーヘルト地震計他各種地震計の記録からS−Pが3秒以下の地震を抽出し,松代群発地震発生の1965年8月3日まで,同期間の長野地方気象台で観測された地震観測原簿を参照し,同地方の地震活動を調査した結果,
 (1)1958年以降2年半周期の活動の消長が見られる中1963年頃からやや活発になり,1963年4月には月に50回を越え,群発地震が始まる直前まで地震回数は減少している.
 (2)1963年4月の活動はS−Pの検測値から,その震源域は松代の南西約15kmと推定され,初期の松代群発地震発生域とは重ならないその外側で発生していたと推測される.
 大正4年4月25日付発行の長野地方測候所(当時)発行の「信州の地震」からの抜粋によれば,明治22年から40年の期間に年1〜2回程度の頻度で松代町の南約7kmにある鏡台山付近を震源域とする有感地震活動があったことが判明した.
 長野県北部には‘信濃川地震集中帯’と呼ばれ,1847年の善光寺地震(M7.4)を始めとする被害地震が発生している(宮内,1968).またこの地 域には,1890年以降地震鳴動および群発地震活動が報告されているが,松代群発地震域とは重ならず,その空白を埋めるようにその活動が発生した(関 谷,1968)ことが報告されている.
 今回調査した,1949年以降の同地方の微小地震活動も松代群発地震域の外側に隣接する場所で,また,明治22年から40年の期間に年1〜2回程度発生していた有感地震も同様に,松代群発地震域の外側で発生していたと推測される.

5.謝辞
 長野地方気象台において,地震観測原簿を閲覧させていただいた,記して謝意を示す.

6.参考文献
Yoshinori Arakawa,Arakawa and Suyehiro,1970,Regional Seismicity befor the Matsushiro Earth,quake  Swarm,Paper in Meteorology and Geophisics,21,33-44.
長田芳一,石川有三,流精樹,1988,地震観測所の地震観測履歴,気象庁地震観測所技術報告,9,87-102.
小林正志,春原美幸,伊藤優,2003,精密地震観測室で観測した有感地震の集成,気象庁精密地震観測室技術報告,21,113-133.
宮内民人,1968,長野盆地付近に起こった過去の地震,気象庁技術報告,62,240-247.
関谷博,1968,北信地域の群発地震,気象庁技術報告,62,247-249.

戻る