地震発生当時の気象台職員の体験談

2016年4月14日21時26分、熊本地震の発生により、熊本市は震度6弱の揺れに襲われました。
そして、そこに位置する熊本地方気象台(以下:気象台)もまた、通常業務の継続が困難な状況に陥りました。

気象台では、防災の最前線で県内の更なる被害の拡大を防ぐための震度計の点検、更なる地震活動に対する注意の呼びかけといった防災対応を行うという職責のために、また日々の気象予報業務についても通常の体制を一日も早く取り戻すために、近辺の各地方気象台の協力を得ながら、気象台の業務継続のための復旧活動を行いました。

そういった状況での活動の経験は、以後の地震での防災活動、業務継続活動に大いに活かすこととなりました。
以下に地震発生当時、地台の復旧活動に従事した気象台職員の体験談を掲載しています。

熊本地方気象台 リスクコミュニケーション推進官

 (熊本地震当時:熊本地方気象台 防災管理官)

 熊本地震の発生から10年。ここでは地震発生当日からの対応について改めて記憶を辿り、振り返ってみたい。
 平成28年4月14日(木)は、夕方からの打ち合わせから解散後、気象台職員4名で行きつけの居酒屋で席についた。そして21時26分、グラスを合わせて間もなく、突然突き上げる様な強い揺れに襲われ、棚の酒瓶が割れる音や悲鳴が聞こえてきた。すぐに震度7の情報が入り事態の深刻さに気付くこととなった。14日21時26分 のマグニチュード6.5の前震の発生である。
 職員はタクシーで気象台へ急行、熊本地方合同庁舎A棟の階段を息を切らしながら上り12階の熊本地方気象台に到着したのは、地震発生から約20分後のことであった。
 震度6弱を観測した熊本地方気象台(熊本市西区春日)の事務室は足の踏み場もないほど物が散乱し、事務机は数十センチ動き、書棚は転倒、物品は通路を塞ぎ、転倒防止ベルトで固定されていたパソコンもベルトが切れ落下していた。また現業室の窓が1つ枠ごと地上に落下しており、日中に地震が発生していれば、人的被害は免れなかったかもしれない。
 ほどなく他の職員も参集し、職員家族の安否確認、 被災・対応状況の報告、県への職員派遣、記者会見の準備などの業務に執りかかるが、機器の故障や記者会見中の余震など困難も多かった。
 翌15日以降は気象庁本庁や福岡管区気象台等から職員派遣、現地調査、物資提供等の支援を受けて、業務を維持・継続した。
 15日夜には緊急作業に必要な職員以外は、翌日からの勤務に備えるため一旦退庁した。私自身も帰宅し床について1~2時間ほど経過したとき、地鳴りと共に大きな揺れに襲われた。益城町で再び震度7を観測した、16日01時25分に発生したマグニチュード7.3の地震(本震)であった。気象台の震度計は6強を観測し、15日に他の気象台から支援を受けて片付けた書類等は再び執務室一面に散乱した。
 その後も地震活動は続き、14日から16日までに有感地震は1500回を超え、平成30年4月末までには4484回に達した。5月以降は、自治体の防災会議や住民説明会等に出席し、地震により土砂災害や洪水害のリスクが高まっている状況であることから、大雨に関する警報や注意報を通常より早く発表することや早めの避難を心掛けて貰うよう説明を行った。
 最後に、熊本地震は不測の事態に謙虚に備えることへの必要性、そして起こるべくして起こる自然現象に想定外はなく、想定外は人が生みだすものであるということを教えてくれた。地震発生前から布田川断層帯や日奈久断層帯の存在、またそれらで想定されている地震の規模等も知識としてはあった。しかし一方で自分がその地震に遭遇することはないという根拠のない思い込みの中に身をおいて、自然を正しく理解し、備えるという努力を怠っていたように思う。

地震により物品が散乱した熊本地方気象台事務室
〇地震により物品が散乱した熊本地方気象台事務室(熊本地方気象台 4月16日)


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熊本地方気象台 調査官

 (熊本地震当時:熊本地方気象台 火山防災官)

 2016年(平成28年)4月14日、熊本県を中心とする一連の地震活動の始まったこの日、熊本地方気象台の職員は、熊本大学減災センターの先生方と今後の協力・連携体制について熊本市上通りにある熊本大学の会議施設で打合せを行い、懇親を深めた日でもあった。その会合からの帰途バス停までの道を急いでいた所、突如足元のふらつきと激しく揺れる上空の電線や樹木を目にした。酒に酔ってなのか、地震の揺れによるものなのかよくわからない状況の中、その絵面は鮮明に記憶に残っている。携帯の音声通知で状況を知ったが、タクシーは捕まらず、走りながら時々立ち止まって息を整えながら周囲の状況を確認し、熊本地方合同庁舎A棟(以後:合同庁舎)までの約3kmの道のりをとにかく急ぎ走った。
 途中、ビルの窓ガラスが地上に散乱しているなど被害の一端を目にしながら、家族の安否を確認し、息を切らしながら合同庁舎近辺まで近づいた。行きつけの居酒屋さんの前を通りかかった所、店内で顔なじみの従業員の方々が呆然としていたので、今後も大きな揺れに注意するように声をかけたことを覚えている。
 合同庁舎に到着したが、当然エレベータは動いておらず階段を使うしかない。熊本勤務の5年間、毎日職場までの12階を階段で上り下りして鍛えた足腰もこの時ばかりは役に立たずよろよろと階段を上っていった。通路の状況を見ると、所々ひび割れが見られここでも地震の被害の一端を感じたが、職場にたどり着くとその状況は更にひどく、机は移動しPCや書類は散乱し、書庫からもたくさんの書物が飛び出してひどい有様だった。現業室には既に数名の参集職員がいて、機器の確認や記者会見の準備などに取り掛かっていた。
 私は震度未入電の自治体観測点について熊本県危機管理防災課に電話を入れ、未入電地点の確認をお願いしたが、県内の広範囲で被害を受けている中、何度電話を入れても結局その時点での状況確認はできなかった。その後は参集職員全員で記者会見や情報収集などの業務継続に当たり翌15日に突入した。合同庁舎最上階である12階では揺れも大きく感じられ、余震に怯えながら夜まで業務に当たったが、一部職員を除き一旦自宅に戻ることとなりすこしだけほっとしたものだった。
 床に入って数時間後、大きな揺れを感じ、夢かうつつかはっきりしない中で、なぜか阿蘇の破局噴火を連想した目覚めだった。尋常でない揺れだったため家族を連れて職場に参集し、家族を合同庁舎1階に一時避難させ業務に当たった。
 16日以降の業務では、県内自治体の地震被害の現地聞き取りや被害情報の収集などの業務に当たったが、地元住民の方々から写真撮影や情報提供についてご協力を得られる一方で、時には、ご自身も被災自治体であり地域住民の要望や対応への業務を優先としなければならない担当者からは協力を拒絶されることも経験し、災害が発生した時の対応の難しさも実感させられた。また、全国の気象官署の仲間の方々に応援をいただき助けてもらったことは被災したものとしてとても心強くありがたく今も忘れられない。
 熊本地震から10年が経過した現在でも地震は継続して発生しており、令和7年11月25日には阿蘇地方で震度5強(M5.8)を観測した地震や、特別警報を発表することとなった8月の大雨など、気象災害は今でも身近な地域で発生している。過去、人命にかかわるような地震が発生した際にも、寝る場所を考えたり必要最小限の対策を行ったりしたものの、家具やテレビ等の固定や転落防止対策など今すぐにできる対策でありながら万全ではなかった。熊本地震発生から10年目、起こりうる災害に対して予断を持たずにあらためて考えてみる機会としたい。

地震により転倒したロッカー
〇地震により転倒したロッカー(熊本地方気象台 4月16日)


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熊本地方気象台 予報官

 (熊本地震当時:佐賀地方気象台 技術専門官)

 熊本地震から10年。当時を振り返ってみたいと思う。
 当時(平成28年4月14日(木))私は佐賀地方気象台(以下、佐賀地台)に勤務しており、日勤を終えて宿舎に帰宅し就寝前(14日21時26分)のことだったと思う。携帯の緊急地震速報が鳴り出し、気が付くと宿舎中で緊急地震速報が鳴っている状況であった。すぐに揺れが来て佐賀市内で最大震度4を観測した。
 急ぎテレビや携帯で確認したところ熊本県の益城町で最大震度7であることが分かった。隣の大津町に両親が住んでいたため、安否確認の電話をしてみたがつながらなかった。さらに時間がたつにつれ震度4以上の地域が広がっていき、夜遅くの発生で詳しい被害状況が分からず、気をもむ状況が朝まで続いた。救援作業のための出動の可能性を考え、少しでも睡眠を取らねば、と思い床についたが、午前0時ごろから午前6時半頃まで寝たり起きたりを繰り返した。
 翌朝佐賀地台に出勤したところ、熊本地方気象台(以下、熊本地台)へ官用車で飲料水・非常食を運び、地震で倒れたものの片付けをするため、私を含め職員4名が派遣されることになった。
 往路は、佐賀市から国道208号線と501号線と有明海沿岸を南下して熊本市内へ入り、熊本地方合同庁舎へ向かった。道中、ガムテープやごみ袋等を購入するためにホームセンターに入ったところ、背中に気象庁のネームの入った防災服姿であったからか、店員の「気象庁が来た」という小声の会話が聞こえ、役職としての世間からの期待や責任を感じる一幕があった。
 熊本地方合同庁舎に到着し、飲料水、非常食を運ぼうとしたが、エレベーターが止まっており、かつ熊本地台が12階にあるため到着早々体力的にも大変な作業となってしまった。
 その後は、台内の片付けである。一番驚いたのは、現業室の窓が枠ごと地上に落下していたことで、地震発生が夜で人通りがない時間帯であったことが幸いしたと感じた(ブルーシートの貼り付けで対応)。
 台長室、次長室では書類が散乱していたものの、本棚に戻すと余震で再び落下することを考え、それらを段ボールに入れて床に置くことにした。が、まさかその夜(16日01時25分)に14日以上の地震が発生するとは思ってもみなかった…。
 17時過ぎには熊本地台での作業が一通り終了し、帰任することとなった。復路は、国道3号線から九州自動車道で佐賀へ帰るルートを選択したが、熊本から福岡方面へ避難する車や福岡へ移動する車の渋滞に捕まり、熊本市内から出るだけで2時間程度かかってしまった。途中、夕食を買うためにコンビニに寄ったところ、飲料品、食料品(弁当、おにぎり)はすべて売り切れていた。
 その後は往路と同じルートに戻り、国道208号線に乗って玉名市、荒尾市を通過後、北上して佐賀市に戻った。
 熊本地台を17時半頃出発し、佐賀地台に到着したのが22時半ごろであったと記憶しているが、とにかく疲れていてすぐに宿舎に帰り就寝したため、16日01時25分に発生した地震については、翌朝起床後、テレビで発生を知ったという次第であった。
 最後に、熊本地震から10年の間にも、平成30年北海道胆振東部地震、令和元年東日本台風、令和6年能登半島地震などの自然災害は引き続き発生している。自然災害の発生は止めることができないが、発生前の避難計画や備蓄品等の用意、発生後の支援体制の充実を図ることで、被害の軽減や被災地の支援を速やかに実行することはできると思う。
 個人としても、今後発生の可能性がある南海トラフ地震や豪雨災害などに備え、 JETT(気象庁防災対応支援チーム) 派遣作業に耐えられるだけの体力維持が必須だと感じている。

地震により脱落した窓
〇地震により脱落した窓(熊本地方気象台 4月15日)


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